Top史跡、寺社城仏閣'; } else { print '史跡、寺社城仏閣'; } ?>

« 南紀 紀伊大島須江 | メイン | 旅先いろいろ »

2009年05月13日

●春日山城跡

20090513aaa.jpg20090513aab.jpg
20090513aac.jpg20090513aad.jpg

仕事が早めに終わったので、せっかく新潟県上越市まで来たからにはと、
今年のNHKの大河ドラマ"天地人"で、ちょうど旬の上杉謙信公、景勝公が
居城された春日山城跡を、見学して来ました。

しかし戦国時代屈指の山城だけに、頂上の本丸や直江兼続公の屋敷跡などを
見学するには、ちょっと山道を登る必用が有り、ハイキング姿やジャージの
方がほとんどで、スーツ姿に革靴では、ちょっと皆さんより浮いてましたね。

でもちゃんと、すれ違う方々に「こんにちは」の挨拶だけはしてきましたよ。

2009年04月25日

●織田信長、徳川家康ガイドブック

4月23日より愛知県では、織田信長ガイドブックと、徳川家康ガイドブックを
各5,000部作成し、愛知県内の各県民プラザで無料で希望者に配布しており
ます。

0904%20nobunaga.jpg0904%20ieyasu.jpg

内容は、愛知県が産んだ名将の歩んだ足跡に沿った観光ルートを紹介する
ガイドブックですが、なかなか上手く作られております。
織田信長ガイドブックは、信長公の年齢毎の6つのコース、徳川家康ガイド
ブックは、家康公によって作られた江戸幕府のふるさとを尋ねる6つのコースと
それぞれの特徴を捉えた、愛知県内での観光ルートのガイドマップです。

当初は豊臣秀吉ガイドブックも作られる計画だったらしいですが、もともと
武家産まれで城などの華やかな名所が多い信長公や、家康公に対して、農家
出身の秀吉公には名所名跡も少なく、秀吉公は見送られたそうです。

愛知県外の方で、各愛知県民プラザに受け取りに行けない方には郵送でも
受け付けておりますので、興味有る方は下記のサイトで確認してみて下さい。

織田信長、徳川家康ガイドブック紹介ページ

参考までに、このサイトで当ガイドブックをダウンロードする事も可能なのですが、
印刷されたガイドブックはA5サイズですので、ダウンロードしたPDFファイルを
PC上で拡大して見られた方が、大きなサイズで見えますので、印刷物より見安い
とは思います。

2009年04月15日

●沓掛城址公園

20090413aaa2.jpg

もうひとつの桶狭間古戦場跡の、桶狭間古戦場公園の見学報告をする前に、
季節的にソメイヨシノが満開だった頃に丁度訪れた、沓掛城址公園の報告を
させていただきます。

この沓掛城は、桶狭間の戦いにて織田信長に敗れた今川義元公が、敗れる
前夜に陣を取った城です。

20090413aaa.jpg20090413aab.jpg
20090413aac.jpg

場所は愛知県豊明市沓掛町に位置し、東西288m、南北234mの広さで、右上の
写真の案内図によると本丸、二の丸、諏訪曲輪、侍屋敷などで構成され、総堀に
囲まれる形式です。
当時としては、比較的規模の大きな城だったらしいです。

因みに案内図の図にて、右側は西方向になりますので案内図の前にある、写真
上の階段が西側(駐車場)からの入り口になります。

20090413baa2.jpg

低めの階段を上がると、本丸跡が見渡せます。

20090413bab.jpg20090413bac.jpg

同じ場所から見た左側は空堀、右側は侍屋敷跡です。

20090413caa.jpg

丁度、お昼の時間なので、お花見がてらお弁当を持って休憩に来られた方達も
チラホラ見かけました。

20090413ead.jpg20090413cab.jpg

右の画像は、諏訪曲輪の跡。

20090413cac.jpg

桜は、丁度満開で綺麗にさいておりました。

20090413daa.jpg
20090413dab.jpg20090413dac.jpg

公園入り口反対側の、東側から見た本丸跡。

20090413eab.jpg
20090413eaa.jpg20090413eac.jpg

北側より見た、本丸跡。

公園内にある説明書きを纏めると、沓掛城は正中2年(1325年) 近藤宗光を
初代とし、九代目景春の時に織田信長に謀反した鳴海城主山口左馬助に
落とされて今川勢に属した。
その後、桶狭間の戦いの時に信長は攻め落としたが、景春は戦死。
戦後に恩賞として簗田出羽守に与えられ、城は整備された。

出羽守が加賀に移った後は、織田信照、川口久助が城主を勤め、慶長5年
(1600年)関ヶ原の戦いにおいて川口久助は西軍に参陣し、敗戦後に捕らえ
られて伊達政宗にお預けとなり、廃城となった。

豊明市により、昭和56年(1981年)から同61年にかけて発掘調査が行われ、
城跡は「沓掛城址公園」として整備されました。
なお、蓬左文庫所蔵の「沓掛村古城絵図」を参照すると、遺構は当時とほぼ
変わってないそうです。

2009年04月09日

●史跡桶狭間古戦場跡

以前にも少し書きましたが、たまに仕事中の昼休憩を兼ね、名古屋市近郊の
史跡を訪れております。
今回は、そんな桜咲く良き日に訪れてきた桶狭間古戦場跡の報告です。

織田信長公が2,000名の兵力にて、今川義元公ひきいる25,000名の大群を
奇襲攻撃にて打ち破ったと言う通説で有名な桶狭間の戦いですが、何故か、
その戦場跡は2ケ所の古戦場跡として、現在公園になっております。

実際、その時の戦いはかなり広い範囲のあちこちで戦いが有った様でして、
遺物が愛知県豊明市の"史跡桶狭間古戦場跡"と、名古屋市緑区の"桶狭間
古戦場公園"のそれぞれから見つかった事で、2ヶ所の古戦場跡が出来た様
です。

今回はその内のひとつ、愛知県豊明市にある"史跡桶狭間古戦場跡"の見学
報告です。

20090407aaa.jpg

北方向より撮した画像です。
豊明市内を走る国道1号線から 50mほど南下したところに当公園は有ります。
駐車場は無く、全面積でも200坪ぐらいの大きさです。

全景を入れたい為、10.5mmのフィッシュアイで撮ってみました。

20090405aba.jpg20090405abb.jpg

右の説明板には、この地は1560年5月19日に織田軍が今川軍を破った地にて、
当時、田楽狭間とか館狭間と呼ばれており、1809年に桶狭間弔古碑が建立
されたと書かれておりました。

20090405aca.jpg20090405acb.jpg
20090405acc.jpg20090405acd.jpg20090405ace.jpg

この公園の真ん中当たりに当跡地を示す石碑と、すぐ隣に説明板があり
桶狭間の戦いで今川義元公の戦死場所を示す最も古い石碑らしく、1771年に
建てられたとあります。

この石碑には、西側を除く三方に文字が彫られており、石碑正面の東側には
"桶狭七石の表之一"、北側には"今川上総介義元戦死所" 、そして南側には
"明和八年卵十二月十八日造" と書かれてありました。
ようするに今川義元公が戦死した場所との事ですね。

20090407aae.jpg20090407aaf.jpg

跡地は公園として整備されており、直ぐ北側に隣接する病院の患者さんや
近隣の方らしき人達が、お花見がてらのんびりと休憩されてました。

20090407aab.jpg

南側に、今川義元公のお墓が有ります。
案内板を読むには、ここは元々塚であったが明治9年5月に当地近郊の有松に
住む、山口正義氏が主唱しこの墓を建てられたらしいです。

20090407aad.jpg
20090405aeb.jpg20090407aac.jpg

南端にある石で出来た弔古碑には、文化6年5月(1809年)に津島の神官である
氷室豊永氏が建立されたと彫られていると、案内板に書かれてました。
尚、石碑の写真左の表面には"桶狭間の戦い"を回願する文と雀時を偲ぶ詩が、
写真右の裏面には建碑の趣旨が書かれているそうで、尾張藩の儒学者の作に
なるそうです。

20090405afa.jpg

上記の石碑の隣には、こういった史跡にはお決まりの絵で描かれた大きな
地図がありました。

窪地で休憩中の今川義元公を、背後の山から一気に斜面を駆け下り織田軍が
奇襲攻撃をかけたと言う通説は、近代の歴史研究者の方達には間違いと考え
ている方が多く、詳しくは、後日、もうひとつの古戦場跡"桶狭間古戦場公園"の
見学報告の時にでも、書かさせていただくつもりですが、実際には山の上で
休憩中の今川軍が、織田軍の攻撃によって、二手に分かれて逃げたというのが
新説の一部です。

確かに見学した2ヶ所の古戦場跡の側にはともに急な崖などなく、その当時は、
"おけはざま山"と言う山が2ヶ所の間にあったらしく、今川軍が山頂から二手に
逃げて、力尽きたところが現在の2ヶ所の古戦場跡と言うのかなと思いました。

次回、もうひとつの古戦場跡報告につづく。

2009年02月04日

●岐阜城と、清洲城めぐり

20090204aaa.jpg20090204aab.jpg
20090204baa.jpg20090204bab.jpg

本日は、久々に海に行かない休日。

このところ個人的にマイブームの織田信長公の お城見学に、朝から岐阜城、
午後から清洲城へと行って参りました。

それぞれ昔に作られた物が現存するのでは無く、 復元された建物にて、中の
展示物もほとんど複製品ですが資料などで勉強にはなりますね。

2008年06月10日

●今年も唐招提寺へ

本日は久々にダイビング関連ではないお話しで、先日の休日に、一年ぶりに
奈良の唐招提寺さんを参拝してきました。

20080604aa.jpg20080604ab.jpg

去年拝観した時は、まだ工事中の保護用建物に包まれていた金堂でしたが、
今年は保護用建物がほとんど解体されて、修理されたばかりの輝きを放って
おりました。

屋根の鴟尾(しび)は、西側が創建当初のものですが、今回の修理で平成の
鴟尾に代えられ、新宝蔵にて保管されております。
修理されたばかりの金堂を近くで見たかったのですが、まだ廻りを工事用の
柵で封鎖されており、残念ながら近くには寄れませんでした。

今回の拝観の目的は年に一度、6月5日~7日の3日間のみ、御影堂にて
拝観できる鑑真大和上像を拝ませていただく事と、来年の秋に落慶法要が
行われる予定で、現在、平成大修理中の金堂の中に鎮座されておられる
国宝三尊の修理姿の見学です。

20080604bb.jpg20080604ba.jpg

左上が御影堂で、右上は、盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像の
国宝三尊を修理している修理工場。

昨年7年ぶりに揃って修理所で拝観が出来ましたが、今年も昨年に引き続き、
鑑真大和上像の一般公開期間を、5月31日~6月8日の9日間に延長されて、
同期間中だけ、同じく修理中の国宝三尊が拝観できます。

国宝三尊は、今月より金堂の中に再び戻されるので、修理中の姿が見られる
のは今回が最後、しかも修理工場での展示中はすぐ側まで近寄って見る事が
できます。

木造巨大仏像フェチの自分としては、去年からの修復具合をどうしても近くで
見ておきたかったのですが、実際には去年と全く同じ展示方法で、修理された
変化も、全く判りませんでした。

どうやら金箔を張り直したり、漆を塗り直すと言った修繕では無く、現在の保存
状態を維持する修理らしく、去年と変わらないのは当たり前ですね。

20080604ca.jpg
20080604cb.jpg20080604cc.jpg

その他、のんびりと唐招提寺の国宝物や、重要文化財を見学し癒された後は
ちょっと北に足を伸ばして、東大寺の金剛力士立像を見に行く事に。

途中、写真の " いざさ " さんで、柿の葉寿司を美味しく頂きました。
ここでは2階の窓から、東大寺の南大門、大仏殿の屋根、鴟尾などの綺麗な
眺めを楽しみながら、料理を味わえます。

20080604db.jpg20080604da.jpg

さて、東大寺の金剛力士立像の阿像、吽像。
1180年(治承4年)に兵火で消失した東大寺の復興造営のひとつとして、1203年
(建仁3年)に、運慶、快慶、定覚、湛慶(運慶の子)が小仏師多数を率い、僅か
2か月で造立したものである事が、平成の解体修理の時に発見された像内納入
文書より新ためて裏付けられ、現在では運慶が制作の総指揮にあたっていたと、
考えられております。

建仁時代は、運慶、快慶の両巨匠が最もあぶらののった壮年時代と言われて
おりますが、僅か2ヶ月の短期間で8mにも及ぶ虚像作成は、日本木材彫刻で
珍しいもののひとつであります。

こういう側面からの日本史探訪は自分の好きな物のひとつでして、生物報告の
合間にでも、紹介させていただく事にいたします。

2007年06月08日

●唐招提寺

小学生の頃から、自分は古いお寺や日本のお城に興味がありました。
特に理由はこれって事は無いのですが、木造の大きな建物や、木造の仏像に
興味が有り、コンクリートで複製されたお寺やお城の建築物や、金物鋳造の
仏像にはほとんど興味はわきません。

やはり古くて木造で大きい、これが自分の気に入るキーワード。

学生の頃は、ちょこちょこ見学に出かけては居たのですが、働きだしてからは
一度だけ出かけたくらいで、ここ10年は忘れておりました。
しかし、先日、ネットで見たNEWSがきっかけになり、どうしても見に行きたく
なりました。

OSK200705290032.jpg
写真は某新聞社の記事から頂戴しました。ごめんなさい

平成21年秋の完成を目指して、7年ほど前から金堂を大修理中の唐招提寺の
盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音立像の国宝三尊が、7年ぶりに揃って
修理所で一般公開されるらしい。
修理中の姿は今しか見れませんし、公開時期は鑑真大和上像を年に一度だけ
拝観できる期間と同じらしいです。

ダイビングをやり始めてからカメラ好きになり、今ならそれなりの写真が撮れる
のでは無いか?
ひょっとしたら普段は撮影禁止だけど、修理中の姿ぐらいは撮せる事ができる
かも、などと急に凄く見に行きたくなり、出かけてまいりました。

丁度、名阪国道と東名阪自動車道路の集中工事と重なりましたが、ラジオの
道路情報では湾岸を通って四日市で合流するルートで行けば、何とか渋滞は
少なくて済むとの事で、その通り車を走らせ2時間30分で着きました。

20070606aa.jpg20070606ac.jpg

意外と、駐車場は空いてました。
例年ですと鑑真大和上像を拝観できるのは、6月5日~7日の3日間だけですが
今年は特別に、2日~10日の9日間も拝観できる期間が有りますので、皆さん
参拝される日が分散されたんでしょう。
しかも修学旅行生の姿も見れません。
右上の写真の南大門の勅額は複製です。
本物は奈良時代の作成にて、風雨で劣化しない様、講堂に飾られております。

20070606ba.jpg20070606bb.jpg
右上の写真が講堂。
左上の写真は例堂を南より見た姿ですが、左に映っている人口の建物が、
金堂大修理の為に、金堂をすっぽり包み込む様に建てられた工事用の建物。
木製の大重量の屋根などをつり上げる為、大型のクレーン設備などが内部に
作られていました。
修理期間中に金堂に安置されている国宝三尊が傷つく可能性が有るため、
それぞれ現在は仏像修理所に安置されております。

20070606mb.jpg20070606ma.jpg
そして、いよいよ鑑真大和上が安置されている御影堂です。
特別公開の為、別途料金が必用でした。

20070606cc.jpg

20070606cf.jpg20070606cb.jpg
いよいよ写真の天幕に隠れた部屋に、鑑真大和上像が安置されております。

20070606cd.jpg20070606ce.jpg
残念ながら、やはり内部は撮影禁止でしたので、御影堂参拝記念に頂だいした
絵はがきの写真です。

鑑真大和上像の前では、皆さんお参りした後、座って鑑真大和上像をしげしげと
眺めております。
写真に撮ることは出来ませんので、一年後に拝観できるまで目に焼き付けて
おくのでしょう。
本物は写真と比較すると、漆の色が鮮やかに思えました。

20070606oa.jpg20070606ob.jpg
御影堂を45分ほど参拝した後は、講堂に安置されている弥勒如来坐像、持国天、
増長天の各立像の他、本来は金堂に安置されている梵天、帝釈天等を拝観。

20070606nb.jpg20070606na.jpg

その後、仏像修理所で、薬師如来立像、千手観音立像、盧舎那仏坐像の順序で
拝観できました。
三尊とも金堂内で安置されている時より、修理所の方がより近く、明るい照明下で
拝観出来ました。
千住観音様は千手を外した状態で、数本はガラスケース内に入れて展示されて
いて、手の内部の木の組み合わせや、千住の手のひらに描かれた目など、
金堂内ではとても見えない部分が観察できました。

残念なのは、撮影禁止だった事。
でも、ほとんどの国宝の撮影が禁止されているのは何故でしょう。
やはり仏様を撮すと言う事は、罰当たりの行為なんでしょうかねえ?
ストロボがんがん当てるなんて、失礼ですものね。

20070606pa.jpg
ともあれ、見たかった物は全て見れたので、大満足。
9時30分に到着したのに、南大門を出たのは12時30分でした。

2007年06月07日

●修学旅行生?

昨日、日記に "詳しくは後ほど "と書いておきながら、昨夜は暑い中、奈良の
広~いお寺を歩き廻って疲れた上、帰り道には名阪国道の集中工事による
大渋滞にはまってしまい、疲れたせいか報告を忘れてしまいました。

目的だった唐招提寺の事は、別途、詳しく報告させて頂きますが、唐招提寺に
参拝した後は、せっかく奈良に来たついでにお寺観光と、すぐ南に立っている
薬師寺と、名阪国道のインターに近い法隆寺にも参拝してきましたが、どちらも
修学旅行生でいっぱいでした。

20070607xa.jpg
写真は西側遠方より撮影した薬師寺です。

で、よく観察すると、どうも言葉が日本語でない修学旅行生もいっぱいおります。
言葉からは、どうやら台湾人らしき生徒さん達の集団です。
その国でも修学旅行と言うかどうか判りませんが、おそらく日本の修学旅行生が
7割、3割は外国人の修学旅行生と言った具合の比率です。

自分達が修学旅行で訪れていた時代では、外国の、しかもアジアの方で旅行して
きている生徒など、皆無でした。
こんなところまで、世の中は変化してきているんですね。

20070607xb.jpg20070607xc.jpg
薬師寺の南門から入ったメインの白鳳伽藍では、左上の写真の様にあちこちで
色んな学校の修学旅行生がいましたが、北にちょっと離れた期間限定公開中の
玄奘三蔵院伽藍では、右上の写真の様に、ほとんど一般の参拝客ばかりしか
居ません。

唐招提寺を参拝した時にも修学旅行生は居ませんでしたが、年に一度だけ、
鑑真大和上様が期間限定で公開されている中では、騒がしい生徒さん達の
観光申し込みはお断わりしてるんでしょうか?

お寺によって、ちょっと好対照な参拝客の報告でした。

2007年06月06日

●今日の目的

今日の目的はここ。

20070606xb.jpg20070606xa.jpg

20070606xc.jpg
じじくさいと思われるでしょうが、唐招提寺です。

詳しくは後ほど。