Home > 史跡めぐり Archive

史跡めぐり Archive

ぷち史跡巡り その3 岡崎城

本日の見学報告は、4月の桜の咲く季節の頃に撮影した写真から。

okazakijyou 2010bab.jpg
okazakijyou 2010baa.jpgokazakijyou 2010bae.jpg

徳川家康公が産まれたお城、岡崎城ですが、あいにくの曇り空なので、残念ながら
折角の桜写真が生えません。

なので昨年の秋に晴天時に撮影した写真を、こちらに。

okazakijyou 2010aaa.jpg
okazakijyou 2010aab.jpgokazakijyou 2010aac.jpg

この岡崎城は残念ながら、鉄筋コンクリート製の復元されたお城なので、歴史的価値が
ある建物ではありません。

岡崎城は15世紀前半に西郷頼嗣(稠頼)氏によって現在の岡崎市明大寺に築城され、
その後享禄4年(1531年)に徳川家康公の祖父の松平清康氏によって、現在の場所に
移され岡崎城と称される様になりました。

家康公は天文11年(1542年)に、この岡崎城内で誕生し、6歳の時に織田信秀氏の
(織田信長公の父)、8歳の時には今川義元公の人質となり、少年期は他国で過ごし
ましたが、永禄3年(1560年)の桶狭間の合戦にて義元公が戦死し自立した時に、
ようやく岡崎城に戻る事が出来、その後は元亀元年(1570年)に本拠を浜松城に移す
まで徳川家の本拠地とされました。

江戸幕府が開かれてからも、譜代大名が城主となり、ここを守らせましたが、明治6年
(1873年)の廃城令にて、堀と石垣を残して、天守などは取り壊されてしまいますが、
その後、岡崎市民の願いにて、昭和34年(1959年)にぼ現在の天守が復元されました。

okazakijyou 2010faa.jpgokazakijyou 2010fab.jpg

天守の中は岡崎の歴史資料館になっていて、城や藩政、城下町などの資料が展示されて
おります。

okazakijyou 2010caa.jpgokazakijyou 2010cab.jpg

写真左は現存する土堀、右は家康公の産湯に使用された井戸。

okazakijyou 2010daa.jpg
okazakijyou 2010eac.jpgokazakijyou 2010eab.jpg

隣接した岡崎公園内には、歴史文化資料館の家康館や、二の丸能楽堂、巽閣、徳川
家康公の銅像、本多忠勝氏の銅像などがあり、中でも家康館内の「決戦!関ヶ原」の
可動式ジオラマは、石田三成氏率いる西軍と、徳川家康公率いる東軍の戦い模様を
大型スクリーンと、可動するフィギュアによって紹介しており、これは面白かったので、
もしも岡崎城に行かれた時は、見てみてください。

ぷち史跡巡り その2 龍泉寺

少し前になりますが桜の花が綺麗な頃に、名古屋市守山区竜泉寺にある尾張四観音の
ひとつの龍泉寺(りゅうせんじ)を見学してきました。

龍泉寺(竜泉寺とも表記されます)とは、天台宗の寺院にて山号は松洞山、正式名称は
「松洞山大行院龍泉寺」にて、青銅造馬頭観音様を本尊としておられます。
冒頭にも書きました様に名古屋城を鎮護する尾張四観音のひとつとして、古くは弘法
大師空海さんが、熱田神宮の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納したと言われており、
この事から龍泉寺は熱田の奥の院とも言われておりました。

また尾張三十三観音霊場の、第二十五番札所でもあります。

ryuusenji 201004aaa.jpgryuusenji 201004aab.jpg

「龍泉寺記」には、延暦年間(782年~806年)に伝教大師の最澄さんが熱田神宮を
参籠中に龍神のお告げを受け、多々羅池畔で経文を唱えると、池から龍が昇天して
同時に馬頭観音様が現れたので、本尊として祀られ創建されたと書かれております。

軍事的にも優れた適所とし、弘治2年(1556年)に織田信長公の実弟の織田信行が
城を築いたとされ、永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの前には、清須城北東方面の
防衛線を築く為に信長公も使用されております。

天正12年(1584年)の、徳川家康公と豊臣秀吉公との小牧長久手の戦いの時には、
約2Kmの距離の小幡城に進出してきた家康公を討つべく、秀吉公が一夜の内に堀を
作らせ陣を張りましたが、家康公は小牧城の本陣に退いてしまったので、秀吉公も
楽田の本陣に退却する事となり、退却時に火を放ち建物は全て焼失しております。

その後、慶長3年(1598年)に近隣の春日井市の密蔵院の僧侶秀純さんによって
再興されましたが、明治39年(1906年)2月に再び放火されてしまい、多宝塔、仁王門、
鐘楼を除いて、焼失してしまいました。

ryuusenji 201004aac.jpg

国の重要文化財に指定されている仁王門です。

ryuusenji 201004baa.jpgryuusenji 201004bab.jpg

仁王門に安置されている、阿吽の各仁王像。

通例の配置通り、左側(入り口から門に向かって右側)の東側には、口をかっと開いた
阿形像、反対側の右側(入り口から門に向かって左側)の西側には、きりりと口を結んだ
吽形像が安置されておりますが、やはり外に面した門内での安置の為、痛みがところ
どころ見受けられました。

ryuusenji 201004caa.jpg

重要文化財ではありませんが、慶長年間に建立され約400年の歴史ある多宝塔。
明治時代に大改修を施されており、阿弥陀如来像が安置されているそうです。

ryuusenji 201004cad.jpgryuusenji 201004cab.jpg

龍泉寺の境内から見た写真ですが、本堂の東奥(北側)には龍泉寺城の模造天守の姿が。

ryuusenji 201004cac.jpg

残念ながら龍泉寺城は、日曜、祝祭日のみ入館が可能だそうで、見学したのは平日と
あって、休館日に当たってしまいました。
事前に禄に調べもせず、天気が良いからと思いつきで来てしまうと、こう言った事は平日に
ありがちな話しです。

ただこう言っっちゃあ失礼ですが、現存する城ではなく復元天守ですらない、あくまでも
模造天守ですので、さほど見学出来ない事の落胆は少なかったです。

まぁ強いて言うなら、秀吉公が一夜の内に堀ったと言われてる空堀ぐらいは見たかったな
と思っていたところ、実はその模造天守は龍泉寺の宝物館になっていて、重要文化財の
地蔵菩薩立像や、円空上人作の木像などが展示されているらしく。
いつか海に行かない晴れた日曜日にでも、再度、見学に行こうと思っております。


ぷち史跡巡り その1 源頼朝公ご生誕の地

織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公は愛知県出身の三英傑として有名ですが、
「イイクニ作ろう鎌倉幕府」で皆さんが覚えた鎌倉幕府の初代将軍の源頼朝公も、
実は名古屋市内のご出身です。
もちろん当時は名古屋の名は無く、尾張国の時代ですが。

他にも、室町幕府を開かれた足利尊氏公は三河守護代の子として産まれ、江戸幕府を
開かれた徳川家康公は三河の岡崎城主の子として産まれと、歴史上の三大幕府は
全て愛知県がらみなんです。

今回はそんな中、頼朝公ご生誕の地の紹介です。

20100425aaa.jpg

20100425aac.jpg20100425aab.jpg

20100425aad.jpg
裏側から見ると、門だけしかないのが判ります。

場所は、名古屋市熱田区白鳥地区の浄土宗の尼寺の誓願寺(せいがんじ)さんの
南側、駐車場入り口に 井戸跡と並んで 発祥碑が建ってます。
名古屋をご存じの方に簡単に言えば、熱田神宮の西側に走る 国道19号を挟んだ
反対側の南北の真ん中辺りです。

この地には、かって熱田大宮司千秋家の下屋敷があって、熱田大宮司の藤原季範の
娘の由良御前様が源義朝の正室となり、ここ誓願時に里帰りされて三男の頼朝公を
ご出産されたそうです。

また碑の隣には、「頼朝産湯の井戸」と言われる井戸跡もありますが、こちらはどうも
後から推測で語られた物らしいですが、実は頼朝公ご誕生の地は名古屋市内にもう
ひとつ、名古屋市瑞穂区井戸田の龍泉寺(りょうさんじ)さんにも、頼朝公ご誕生時に
産湯に使ったという亀井の井戸があります。

この事は名古屋氏瑞穂区の区史に詳しく書かれてあるそうですが、熱田区の誓願寺
さんには、名古屋市教育委員会が建立された、「右大将頼朝公誕生舊地」の石碑と、
「源頼朝出生地」の案内板が建ってるだけに、こちらが本命かと思われます。

写真の立派な門と、井戸跡、石碑と案内板があるだけですから、観光時間は10分間も
あれば大丈夫。

愛知県のぷち史跡巡り、第一回の報告でした。

Index of all entries

Home > 史跡めぐり Archive

検索

Rss or Atom

Return to page top