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2009年11月21日

●瀧山寺と、瀧山東照宮 その1

先日、 運慶工房の作品 の時に少し書かさせて頂きました、愛知県内で運慶の
作品を奉られている岡崎市の瀧山寺と瀧山東照宮の見学報告です。

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鎌倉時代末期に描かれた「瀧山寺縁起」(但し、現存している物は17世紀に書き
写された物) によると、奈良時代 (8世紀後半) に役の行者 (えんのぎょうじゃ) の
小角 (おづぬ) が山中にて修行中に、渓流の滝壺から龍が守護していた金色に
輝く薬師如来を発見し、天武天皇の勅命にてこの地に御堂を建立して安置され
吉祥寺とし、太政官符により寺名を瀧山寺と改められたそうです。

その後、12世紀初期(保安年間)に比叡山の住僧であった仏泉上人永救(ぶっせん
しょうにんえいきゅう) が仏法興隆のため三河の国にくだって、荒廃してしまって
いた瀧山寺跡に霊場を建て再興され、仏泉上人をしたい弟子入りした源頼朝公の
従兄弟の寛伝(かんでん)上人が住職の時に、頼朝公によって大伽藍が建立される
など鎌倉幕府の庇護を受け、その後も南北朝時代に寛伝上人の従兄弟の子供の
足利尊氏公から、江戸時代には徳川家からの庇護を受け、1644年( 正保元年) に
徳川3代目将軍の家光公が境内に滝山東照宮を創建されました。

旧暦の正月7日に行われている鬼祭りは,鎌倉時代に起源を持ち,天下泰平、
五穀豊饒を祈って境内を火の海とする勇壮な祭りにて、愛知県の無形文化財に
指定されております。

事前に下調べをしてみると、三門だけは離れて建っているらしく、隆盛期には
僧坊が山々谷々に350ヶ所を超えていたと言う面影が感じられます。

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自宅を出発してナビ通りに進むと、まず大きな三門(仁王門)が見えました。

説明板を読むと、三間一戸楼門、屋根入母屋造りこけら葺、斗組は下層三手先、
上層尾垂木三手先の典型的な中世楼門で、縁起によると1267年 ( 文永4年) の
建立にて、愛知県三河地区で最古の三門にて国指定重要文化財です。

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中央の柱の間が通路になってますが、扉は無かった様でその両側に仁王像が
安置されておりました。
仁王像は阿形が総高294.3cm、吽形が総高287.0cmで、運慶の作と伝えらて
いるそうですが、「その形状や特徴からは異なる仏師と思われる」と、宝物殿の
説明書きに書かれておりました。

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建立にあたり飛騨権守(ひだごんのかみ)藤原光延氏が垂木を逆さに ( 写真の
青い矢印の垂木 )打ってしまったのを恥じて、ノミを口に銜えて仁王門の上より
飛び降りて自殺したそうで、後日、その場所に椿が生え、村人達が塚を建てた
と伝えられており、正面左手の塚がその墓だそうです。

また楼上正面の扁額は、1275年(文永12年)正三位藤原朝巨経朝公の書と、
言われております。

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四方に奉られている隅鬼(すみおに)の色彩は、カラフルです。

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三門の裏側を見ると、かなり痛んでおりました。

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南側から見た三門ですが、本当にポツンと三門だけが建っておりました。
瀧山寺の概要説明と、三門だけで既に長文になってしまいましたので、本堂や
肝心の運慶作品に関しましては、次回の報告とさせて頂きます。

( その2 へ、つづく )

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