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2009年09月30日

●最近、読んだ雑誌

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普通、一般的には"最近読んだ本"って書くのでしょうが、読書する文化に乏しい
自分の場合は"最近、読んだ雑誌"が正しい表現、と言う事で本日は最近読んだ
雑誌の報告です。

まず左奥の" 戦国武将ぴあ "、これは城巡りが好きだった匡平の為でも有ります
が、同じく城巡りが好きな自分用に買いました。
既に49日法要も終え、月が変わり落ち着いたら城巡りに出かけようと思います。
自分が鮎の撮影に夢中になっていた時に匡平に異変があっただけに、今はまだ
水中で写真を写す気分はなれませんので、しばらくは建物の写真撮影の勉強を
しようと思ってます。

前列左の曹洞宗の本は、毎日読んでるお経の意味が知りたくて購入しました。
因みにこの本には読教されてるCDも付属されてるので、ipodに落として練習を
する教材にしております。

そのとなりは先日紹介しました携帯電話での無料ゲーム、 ケータイ国盗り合戦
ガイドブック。
" 戦国武将ぴあ " と共に、匡平の仏前にお供えしてあります。

後列右は、当ブログでも何度か紹介しましたマリンアクアリストの最新号。
今回は、ぢろー先生のオーストラリアの生物報告が掲載されてました。

そして最後に雑誌と紹介するのは失礼ですが、前列右側ウミウシの新しい図鑑。
従来のウミウシの図鑑と違って、写真・プラス・イラストが載っており、種の同定を
するポイントが書いてあるのが特徴で、種によっては綺麗に撮影する方法なども
書いてあり、これからウミウシを極めようと言うダイバーにお勧めです。

すでに1ヶ月以上、久しく当ブログで生物報告を書いておりません。
やはりまだ撮影する気持ちに慣れないのが原因ですが、図鑑だけは新しいのを
見つけると、つい、amazonでクリックしてしまっております。

2009年09月28日

●見習う方

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隣の家の猫、きゅうちゃん

隣の家の猫のきゅうちゃんですが、我が家はテリトリーらしくて当たり前の様に
我が家の敷地でくつろいでおります。
この写真の時は長男の自転車の前で、まったりしてました。
長男は仕事に行ってるはずなのに自転車が有ると言う事は、どうやら匡平の
自転車で通勤に出かけたみたいです。
匡平の自転車は、いつの間にか長男の自転車になったみたいです。

さて話しは変わりまして、先週の土曜日にデジカメを拾って届けていただいた
方にお礼に行き、拾われた時の詳しい状況を聞いてきました。

その川にはその方は年に数度は遊びに行かれるようでして、拾われた8月14日は
最初は上流で遊ばれていて、途中から拾われたところで潜ってられたそうです。

潜り初めて水中に沈んでいるのを見つけられ、最初は使い捨ての水中カメラと
思われたそうですが、ひろって確かめると普通のデジカメと判り、その場所に
着いた時に既におられて先に帰られたダイバーの忘れ物と思ったそうですが、
何か連絡が出来ないかと思っても何も確認する物が無くて、普通に使えるので
反対に拾ってラッキーと思ったそうです。

確かに自分も、そう言う状況でしたら、間違いなくそう思います。

しかし陸上にあげてハウジングが乾いてくると無数の傷が浮き出てきて、これは
もっと前に紛失された物と思って、撮されている写真を確認されたそうです。
そして最後に撮されていた写真の日付が、約1週間前にNEWSで知った遭難事故の
日付と同じだと判り、デジカメの水中プロテクタに貼ってあった かじきあん
ステッカーを頼りにWebで調べられ、NEWSには載って無くても、ひょっとしたら
事故された方がその時に無くされたのではと思って届けてくれたそうです。

匡平が助けられた10分後には上流のダムの放水があって、もの凄い水量でした
ので、デジカメはどこか遠い海に流された物と思っていました。
しかし1週間後に偶然にも海まで行かない下流で拾われて、しかもその方が凄く
良い人だったおかげで自分達の手元に届き、これは奇跡としか思えません。
その方には、どれだけ感謝しても感謝仕切れません。
世の中、まだまだ良い人はいますね~♪

今は考えられませんが、もしも今後自分がダイバーに復帰したとして、カメラを
拾った時には、傷の付き具合を観察して行動しようと思います。
見習う方が、またひとり増えました。

2009年09月26日

●昨日は、なな七日

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撮影者 : 匡平 2007年10月 岐阜城

昨日は、なな七日でした。

先日の日曜日に49日法要は終えてますが、昨日のなな七日が本来の満中陰。
仏教の教えによると、昨日までに匡平は新たな命を授かり、遅くても今日からは
新しい人生を歩み始めた事と思います。

先週の金曜日までは、毎週七日参りでお坊さんに来て頂いてましたが、昨日は
既に49日法要を終えているので、なな七日とは言え、このところ自分の毎朝の
日課の読教を読み上げて、その後、我が家の子として最後の日なので、匡平の
ケータイを持って、匡平が国宝4城の内で撮った写真を残してない、残るひとつの
彦根城に行って来ました。

行く道中では、 ケータイ国盗り合戦 で匡平がまだ領土にしていなかった国を
支配したりして、ついでに長浜城も見てきました。
本当は、今、旬の石田三成の佐和山城跡に行きたかったのですが、今の車の
ナビでは場所が判らず、駐車場もないらしいので今回は諦めましたが、ケータイ
ゲーム上での匡平の領土は、昨日だけで4国と2城増えましたのできっと満足を
してると思います。

さて今日から、余所のお家の子として新たな人生を歩み始める匡平には、

*今度の新しい人生では、短命でなく長く生きること。
*我家でのずう~っと狭かった部屋での人生ではなくて、広い部屋を与えてくれる
 お金持ちのおうちの子供になること。
*そして何よりも、我家よりもっともっと素晴らしいおうちに生まれること。

父親として、愛する息子匡平への最後の教訓です。
自分の言う事を聞いて、次も素敵な人生に成れることと願います。

2009年09月25日

●天国からの伝言

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撮影者 : 匡平 2008年8月22日 郡上八幡城

奇跡は、続きました。
昨日の夕方、 ダイビング・ショップ かじきあん から連絡があって、デジカメを
届けていただいた方の連絡先のメモが有ったそうです。

昨日は連絡先も告げずに立ち去ったと聞いていたのに何故? と言った疑問を
いだく前に、その方に連絡してみました。

その方も、ダイバーでした。
匡平の事故の事をNEWSで見てご存じだった様ですが、あの日の一週間ぐらい
あとにその川の下流で潜っていて、深みに沈んでるコンデジを見つけられて、
ひょっとしたらと思って届けてくれたらしいです。

岐阜県にお住まいの方ですが、その川にはちょくちょく潜りに行ってるそうで、
わざわざ名古屋まで届けに来てくれたそうですが、自分が真相をお話しすると、
そう言う事ならやはり届けてよかったですと、おっしゃられてました。

世の中には、まだまだ良い人がいっぱい居ますね。
匡平は天国に行っても、いい人に巡り会えたみたいです。

でもやはり、その方がおっしゃるには連絡先は伝えなかったのに、なぜ判ったん
でしょうねと不思議がってました。
かじきあん には、携帯の番号と名前のメモ書きがあったそうですが。

とりあえず、近日中に女房とお礼に行ってきます。

2009年09月24日

●奇跡~♪、コンデジが戻ってきました。

匡平が行方不明になった時に貸していて、その後、出てこなかったコンデジが、
自分がいつもお世話になっている ダイビング・ショップ かじきあん に、先日、
善意ある方から届けられ、手元に戻ってきました。

水中プロテクタに かじきあん のステッカーが貼ってあったので、 かじきあん
忘れ物と思われ届けてくれたようですが、名前も住所も告げられずに、すぐに
帰られたそうなので、残念ながら、いつどこで拾われたのかも聞く事ができず
判りません。

もしも奇跡的に当ブログをごらんになられたなら、心よりお礼を申し上げたいと
思いますので、是非、ご一報願います。

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そのコンデジですが、写真の様に水中用プロテクタの表面は傷だらけでしたが、
カメラはちゃんと生きてましたので、画像を確かめてみると当日の写真が 3枚
残ってました。
よくもこんなに傷だらけになりながら、水没しなかったものです。

当日に自分が映そうとした時は、水中プロテクタが結露し曇ってて使えなかった
ので、間違いなく3枚とも匡平が撮した写真です。
当時、あれだけ多くの人達の捜索でも見つからなかったのに、見つかって手元に
戻ってきたのは、とっても不思議です。

きっと匡平がどうしても自分に返したくて、奇跡をおこしてくれたんだと
思います。

ありがとう~♪、匡平。
やっぱり良い子だよ、君は。

2009年09月22日

●ロビン君と100人の友達

匡平は自分と一緒の血をひいてたせいか、プラモデルを作る事や、REGO等が
好きで、キャラクター物の小さなフィギュアをチョコチョコ飾る事も好きでした。

その中でも、この数年、特に気に入ってたのが、これ。

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知らない方も多いかも知れませんが、 ロビン君と100人の友達 と言います。

前列右側から2人目の、髪がみどりい子が主人公のロビン君で、その右縁の
グレーのフードを被った子はライアン君で、ロビン君の左隣の髪の毛の色が
赤とオレンジの子がピーター君。

匡平がPCやケータイの待ち受け画面に使っていたので、以前匡平に聞いて
自分が名前まで知っていたはこの3人だけで、他の97人の友達とか、どこで
このキャラ物が売ってるのかなど、知りませんでした。

葬祭場に居る時に、匡平が持っていた写真の画像のロビン君とピーター君の
フィギュアを匡平の側に飾ってあげていたら、友人の方から、大高のイオンの
ガチャガチャで匡平が買っていたと教えて頂けました。
そのロビン君とピーター君は、匡平が天国に行っちゃう時に一緒に持たせて
あげたので、葬儀後に大高のイオンに買いに行ってみましたが、やはり以前の
事にてもう売ってませんでした。

その後、webサイトで調べてみると、アミューズメントの景品等にも使われてて、
現在販売してるのはちょっと大きいソフビ人形みたいです。
やはり匡平が集めていたガチャのフィギュアを、仏前に飾ってあげたいと思い、
結局、匡平が持っていたガチャシリーズ第3弾の6体プラス、シークレット1体の
合計7体セットをネットオークションで購入し、昨日仏前に飾ってあげました。

天国で気に入ってくれてると良いのですが。

2009年09月20日

●49日法要 (萬中陰法要)

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撮影者 : 匡平 2006年3月 国宝犬山城

正確には、なな七日の 9月25日が匡平の49日になりますが、法要はちょっと
早めと言うならわしで、本日20日に49日法要を営みました。

既に自分の父母、女房の父は亡くなっておりますので、自分の兄姉、女房の
母、弟とそれぞれの家族と我が家3名の極めて近親者だけで営みましたが、
これからの世代は兄弟が少ないので、この様に49日法要や各年忌法要などは
少ない人数での催しになるんでしょうね。

さてその49日法要も初体験にて、いろいろと勉強させていただきました。
まぁ近い親族が集まって、お坊さんのお経の後に食事して、引物をお渡しし
解散ぐらいは知ってましたが、知らない事も有りました。

その中のひとつが、"忌明けの餅"というものです。
49日法要では大きな丸餅1個と、48個の小さな丸餅を供えるそうで、それらを
"忌明けの餅"と呼ぶそうです。
49個の数は中陰の49日間を表すんだろうなぐらいは思いましたが、大きな餅は
人の5体を、小さな48個の餅は人の大小骨を表しており、新しい仏さんはその
力餅を食べて元気に浄土へ旅立つそうです。

また、萬中陰までに家族が読み上げるお経を"中陰勤行"と呼ぶことを 先日
当ブログにて書きましたが、萬中陰後は読み上げるお経の内容が変わります。

基本的に、開経偈(かいきょうげ)、般若心経(はんにゃしんぎょう)、
修証義(しゅうしょうぎ)、普回向(ふえこう)を読教する事は変わりませんが、
修証義に関しては、萬中陰までは5つある章を、に七日~み七日は第1章、
み七日~よ七日までは第2章と言う風に、1週間で1章ずつですが、萬中陰の
後は毎月1日、6日、11日、16日、21日、26日は第1章、その各翌日は第2章
と言う風に、毎日1章ごと読んで5日間で一回り読むことになります。

但し、同じ曹洞宗でも地方やお寺さんによって、内容は異なりますので
これはあくまでも我家がお世話になるお寺さんでの方法と、ご認識願います。

2009年09月18日

●お仏壇の開眼式

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撮影者 : 匡平 2008年9月27日 国宝松本城

本日は、む七日参りにお坊さんに来て頂き、その後、お仏壇の開眼式を施して
いただきました。

仏壇は洋間に置くことを考えて、伝統ある形の仏壇ではなく、最近の家具調の
形にしました。
もちろん仏壇を買うのは初めての事ですし、開眼式の作法も全く判りませんが、
事前に仏壇を購入したお店の方達や、お坊さんにお教えいただき、そつなく
終えることが出来ました。

一般的には、葬儀が終わってから49日法要までは白木の御位牌とお骨は祭壇に
まつって、49日法要後に白木のお位牌はお寺さんに納めさせていただき、漆塗の
新しい位牌をお仏壇に安置するそうでして、我が家もそれに合わせて仏壇を
購入しました。
因みに、49日法要まで使う祭壇は、実家の地方では初盆とかで再び使いますが、
こちらでは49日法要までの一回限りしか使わないそうなので、今回は購入せずに
レンタルさせていただきました。

お仏壇の置き方としては、お仏壇を南に面した部屋で南向きに置く南面北座説、
お仏壇を東向きに置いてお仏壇に拝めば、同時に西方浄土を拝められるという
西方浄土説、そしてその宗派の本山の方角を背にして置いて、お仏壇に拝めば
本山を拝められるという本山中心説などが有るそうですが、我が家では一階で
南に面している居間に、南面北座説でおきました。

なのでこれから匡平は、毎日居間に布団を敷いて寝てる自分と一緒の部屋で
寝る事になりますので、自分のいびきがうるさくて文句を言われそうです。
匡平は睡眠中は歯ぎしりをしており、壁ひとつ隔てていても聞こえてましたが
もう聞くことは出来ないので、自分のいびきだけ聞いて、きっとうるさく思う
ことでしょう。

さてお仏壇の形は家具調ですが、内側の装飾は曹洞宗のまつり方に準じました。
仏壇の真ん中にご本尊のお釈迦様の仏像をお祭りし、右側には高祖承陽大師
道元禅師様を描かれた掛け軸を、左側には太祖常済瑩山禅師様を描かれた
掛け軸を配しまして、「一仏両祖」の三尊仏形式としてまつります。

参考までにこのまつり方は、Webで調べてみると結構書かれてますので、
曹洞宗としては一般的なまつり方の様ですが、実家のまつり方と異なる様に
思え、今度、実家に帰ったときにでも確認してきます。

そして本日のお仏壇の開眼式ですが。
お仏壇の開眼式とは仏様の新築祝いになるらしく、紅白のお餅を飾り、紅白の
和ろうそくを用いて、日頃お坊さんにお渡しする黒白の水引の御布施と異なり、
紅白の水引の御布施になります。
めでたい催しになるんだそうです。

男の子とは言え匡平には結婚式の費用を出せて上げられなかっ分、お葬式には
お金をかけてあげたつもりです。
一度も外に出て暮らした事もありませんでしたから、家を買ってあげる事も
出来ませんでしたが、お仏壇と言う家を買ってあげれたんだと思います。

もっとも、このお仏壇には、自分達残された家族もいつかは同居しますので、
反対に匡平に買って貰ったのかも知れません。
二男なのでいつかは外に出てゆき、お仏壇もお墓も別になるところでしたが、
これでお仏壇もお墓も、家族全員が一緒に成ることになりました。

なんだかんだ言っても、匡平は家族から離れたくなかったのかも知れませんね。

2009年09月16日

●この夏、匡平がおしえてくれた事 その5

当ブログでも過去に書かせて頂きました様に、自分は今、巷で流行の歴女には
負けますが、戦国好きの歴オヤジです。
職種柄、平日の休日もありますので、一人でよく史跡巡りに出かけます。

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撮影者 : 匡平 2008年8月18日 国宝姫路城

匡平も自分と一緒でお城や古い寺など史跡が好きで、友達といったり、時には
一人で出かけて、写真をいっぱい撮ってました。
残念ながら、自分は土日の休日はいつも海へ行ってましたので、お互い同じ物が
好きでも、土日休みの匡平と一緒に行くことが無かったのですが、落ち着いたら
匡平の分まで史跡巡りをして匡平に報告しようと思ってます。

葬儀も終わって、匡平が高校生の頃から使っていた携帯電話に届くメルマガや、
お金がかかるマイメニューを消そうとしてたところ、パスワードがわからず、
解約できないブックマークしてるサイトが有り、どうしようか悩んでいたました。

そうしていたところ。葬儀後に自宅にお参りに来ていただいた匡平の会社の
お友達の方から、匡平と2人でやってたケータイゲームがあったんですと教えて
いただいたのですが、それが自分が解約を試みたサイトだったんです。

それは無料で遊べる ケータイ国盗り合戦 と言うゲームでして、携帯電話のGPS
機能を使って、携帯電話が移動した現在地を戦国時代の地名にて領土にしていく
ゲームです。
7月の父の葬儀後、匡平と2人で自宅に帰ってきた女房が、そう言えば、東名阪の
四日市近辺で、「ちっとも獲れん」って匡平が携帯電話を触りながら言っていた
そうで、たぶんそのゲームの事だったんだしょう。

と言う事で、匡平がまだ獲ってない領地に自分が仕事や遊びで行く時には、匡平の
携帯電話を持って行ってあげて、そのままゲームを続けてあげる事にしました。

勿論、歴オヤジ、且つゲーマーの自分が参戦したのは言うまでもありません。

2009年09月14日

●匡平の愛車

本日は月曜日ですが、我が家に仏壇が届きますので休日を頂戴し、朝から
仏壇を置くところの大掃除でした。

さて匡平は大学時代にバイクで事故をしてから、女房のお古の車に乗って
いて、約2年前に初めて自分で車を選んで新車を買いました。
ボード好きな彼らしく、撥水機能のシートが標準装備のN社の4WDです。

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大学を卒業し社会人になってまだ1年あまりでしたから貯金もほとんど無くて、
安いグレートで我慢し、バックモニターは無く、後部座席の窓ガラス、リア
ガラスはスモーク仕様じゃありませんでした。

7月初旬に父の見舞いに家族4人で匡平の車で出かけた時に、「何でいま時の
車でスモークガラスじゃ無いの?」って、家族全員でからかってたものですが、
匡平はかなり気に入っていた様でして、土日の休日しか乗らないのに2年間で
24,000Kmも走ってました。

そんな匡平がとても気に入ってた車ですが、残された家族は全員自分の車が
ある為、寂しいですがどこかへ売却しようかと思っていたところ、嬉しい事に
匡平の幼なじみが引き取ってくれる事となり、先日手続きが済んで引き取られて
いきました。

この冬にボートへ行く時も、匡平も一緒に連れて行ってくれるそうですので、
全く知らない人に渡るよりは、匡平も嬉しいかと思います。
「 勝手に人の車、売るなよ!! 」って、怒ってるかも知れませんが、家ローンは
まだ未完債でしたので、強くは言えないでしょう、きっと。

家ローンで思い出しましたが、そう言えば高校生の時にバイク買うのに貸した
お金は、まだ 1円も返して貰ってなかったです。

忘れてた~!!

2009年09月12日

●いい写真

今年も、モンツァでのF-1イタリアグランプリが始まりました。
世界各国で催されるF-1グランプリの中で、モナコ、スパ、モンツァ、鈴鹿、
シンガポール等が好きなグランプリレースですが、ティフォシー ( 熱狂的な
フェラーリファンの事 ) の自分としては、その中でもこのモンツァこそが
最高のグランプリレースなんです。

さて話し変わりまして、匡平は突然の事でしたからやはり遺影に悩みました。

匡平の幼稚園の頃からのお友達が、一週間前にBBQをした時に撮した写真を
持って来てくれたり ( 匡平が最後に写った写真 )、幼児の頃からの幼なじみや、
高校生の頃から、大学生の頃から、社会人になってからの各お友達からや、
匡平がお世話になった会社からなど、たくさんの画像を頂戴しました。

しかしネクタイを締めた写真はほとんど無くて、お通夜からお葬式にかけては、
2種類の写真が使えると言う事で、悩んだ結果、会社の入社直前のネクタイを
締めた写真のボディに、半年程前に撮した顔を合成した物と、最後のBBQの
時に写っている写真を使いました。

ご多聞にもれず、自分も女房も双方の写真にピンときません。

女房としては、「 匡平はいつも5年前のバイクでの事故を悔やんでたから、
その時の顔面骨折する前の写真にしたい」と言ってましたが、適切な写真が
無かったんです。

匡平はバイクの事故で顔面陥没の重傷を負い、当時最先端の医療技術により
両目尻に10mmの傷跡を残すだけで、顔面の骨を修正する為に7枚のチタンの
板がボルト留めされました。
ほぼ事故前の顔立ちに治りましたが、やはり若干、顔立ちは変わりました。
なので、どうしても事故前の顔に戻りたかったとは思います。

ですが、やはり持っているべき方は、匡平のいい写真を持っておりました。
お通夜の夜にその方から見せて頂いた写真が、本日の写真です。

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大学1年の時にお付き合いを始めて直ぐの頃にその方が撮した写真だそうで、
もちろん事故する前の、今より男前だった頃の写真です。

その方には匡平が事故で入院してる時に、昼間の付き添いを女房に変わって
貰ったり、退院以降も様子をみてて、「いつか結婚してくれるといいね」と
女房と話してたのですが、残念ながら約2年ほど前に別れたと匡平から聞いて
残念に思ってました。

遺品の整理で匡平の入院日記がみつかり、その方の存在こそが匡平が事故の
治療の辛さに耐える源だったことが書いてありました。
残念ながらと言うか、当たり前の事ですが、父母と兄の家族よりも影響は
大きかったようです。
 
今回の事では女房と、「知らせてあげたいけど、止めておこうね」と連絡は
しませんでしたが、同じ大学だった事もあり人伝いに伝わった様でして、
お通夜の前日に斎場に訪れていただき、実は半年間ほどの空白はあったけど、
月に一回程度は会っていましたと教えて頂きました。

一部のお友達には、「今年の初めぐらいから再び会うようになった」と伝えて
いた様ですが、匡平のPCには、去年もちょくちょく会っていて一緒に撮した
写真が残ってました。
結局は、8年近くも良い関係だったみたいです。

先日の初月命日の夜にも我が家に来て頂き、匡平と撮した沢さんの写真を
頂戴しました。
やはり誰でも愛している方と一緒に居る時が良い顔をしてる様でして、遺影に
使いたかった写真がいっぱいありました。

短かい人生でしたですが、素晴らしい友達だけでなく愛する人にも恵まれてた
良き人生だった様です。

2009年09月10日

●お参りの帰り道に

仏教の世界では、人間は亡くなると49日までには新たな命に産まれ変わると
言われますが、匡平はどうなんでしょうか?

感性が優れた方は亡くなった人の気配を感じたりするそうですが、残念ながら
Newタイプでは無い自分は、一度だけ玄関の鍵が開く音がした様な気がした
だけで、匡平が暮らしていた隣の部屋からいつも聞こえていた音など、気配を
感じる事ができません。

とても友達が多かった匡平ですから、仕事に行かなくて良くなった分自由を
満喫し、毎日、友達の家を遊び巡って居るのでしょうか?

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先日の匡平のお参りの帰り道に、「そう言えばあの時、行かんかったね~」って
話しになり、お昼ご飯は松坂市で食べてきました。

7月初旬に父の見舞いに家族4人で匡平の車で出かけた時に、久々に家族4人で
そろって出かけたから、帰り道に松坂牛を食べて帰ろうかって話しになったん
ですが、牛肉料理専門店では肉が食べられない女房は辛いよって事で、結局、
サービスエリアのレストランで長男は松坂牛の焼き肉定食を、匡平は松坂牛の
牛丼を食べました。

そんな事を思い出しながら、匡平が天国に行っちゃった現場を長男は初めて見た
帰り道なので、きっと気分も落ちているだろうから元気づけてやろうと、某松坂牛
料理の有名店で、松坂牛のステーキ235gを食べてきました。

やはり良い肉は、おいしいですね。
匡平のおかげで、帰り道のランチはとってもおいしい物が食べられました。

「おれは、食っとらんて!!」って、天国で怒ってるかも知れませんが。
匡平、ありがとう~♪

2009年09月08日

●あれから1ヶ月

先日のブログをアップした翌日、突然、自分のノートPCの無線LANの接続が
駄目になりました。
他の家族は問題ないのに、何故か自分のだけ。
やはりあんな写真を公開したので、匡平が早速、仕返ししたんでしょうね。

月日が経つのは早い物で、匡平が天国へ行っちゃってから1ヶ月が経ちました。
今日は初めての月命日と言う事で、匡平が天国に行っちゃった現地にあれから
初めて、長男と二人で行って線香を手向けてきました。

女房は田舎の山や川の風景を見るだけでも辛いそうで、留守番でした。

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現場からの帰り道に、あまりにも良い天気で綺麗だったので、撮った写真です。
あの日も、昼間はこのくらい良い天気でした。

長男は初めて現地に行きましたが、どう思ったんでしょうか。

なんだかんだ言いながらも仲がいい兄弟でしたので、表には出しませんが
きっと彼は、相当、深く悲しんでいることと思います。
5年前に匡平がバイクで事故した時には、すぐに病院に駆けつけ匡平の姿を
見て、病室から離れたところで「匡平がかわいそうすぎる」と言って泣いて
ました。
そんな弟思いの彼ですから、悲しみはかなり深いものと思います。

そんな事を匡平も知っていた様でして、匡平の遺品を整理してたらその事故で
入院していた時に匡平が書いてた日記が見つかり、「自分の為に泣いてくれた
兄ちゃんには、とっても感謝してる」って書いてありました。

日頃は長男に対して、「おにい」と読んでいて、兄に尊敬してる態度ではなく、
まるで対等の立場の様な振る舞いをしていた匡平でしたが、陰では「兄ちゃん」
と尊敬していたみたいです。
そんな長男の弟への愛情を知っていながら、兄への感謝をなかなか表に出さない
匡平でした。

今思えば、ごく普通の生活の毎日でしたが、優しい子供2人に恵まれて家族4人で
幸せな毎日でした。
当たり前の毎日と思ってましたが、本当に幸せな毎日だったと今になって気づき、
そんな事に感謝出来なかった事に後悔しております。

そんな風だから、親として肝心な時に匡平の異変に気づかなかったんだと思い、
日頃から毎日の幸せに感謝していれば、もっと注意してあげれたかもしれないと
後悔しております。

しかし、やっぱり神様なんて世の中には居ない様ですね。
まじめに頑張って働いて、人様に何も迷惑かけずに家族に幸せを与えてくれてた
匡平の命を、たった25歳の若さで奪ってしまうなんて。

今までは初詣に行かないだけでしたが、自分は死ぬまで絶対に神社にお参りには
行かないと思います。

2009年09月06日

●この夏、匡平がおしえてくれた事 その4

結局、先日のエアコンの故障は単なるリモコンの故障でした。

きっと、匡平が最後の時に自分が淡水生物の撮影に夢中で、近くに居ながら
異変に気づいて助けてあげられなかった事に対して、匡平が怒って悪さを
したんだと思います。
お通夜の前日にも、自分が匡平が行方不明になった時から60時間ぶりについ
寝てしまったら、静岡が震源地の大きな地震で起こされました。
多分、あれもきっと匡平の怒りです。

なので本日は、匡平が最も嫌がるであろう写真を仕返しで公開してやります。

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匡平が、2歳半の時の画像です。
日頃から女の子みたいに可愛い匡平に、近所の匡平の幼なじみの女の子の
服を借りて着せて、嫌がる匡平を女房がなだめすかして撮った画像です。
どう見ても、可愛い女の子でしょ。
でも、これ以来、二度とスカートは履いてくれませんでした。(当たり前ですが)

さて先日も書かせていただきました金融機関の解約の時に、疑問に思う事が
他にも有りました。

それは戸籍謄本なんですが、現在、市役所、区役所などで交付される物は
平成6年法務省令第51号附則第2条第1項により電子化されたもので、もちろん
匡平の産まれた事から、亡くなった事まで記載されており、自分、女房、長男、
そして匡平の家族4人全員が記載されてますので、例え、278円であれど匡平の
遺産相続人の自分と、匡平との家族構成が全て証明されております。
「これは戸籍に記録されている事項の全部を証明した書面である」との区長の
お言葉も入ってます。

しかし金融機関では、これは国が勝手に法改正でなく省令で複写した物なので
駄目と言われ、もともと産まれた時に記述された原戸籍謄本でないと駄目と
言うんです。
なので匡平の場合は、産まれた頃に記述された原戸籍謄本と、亡くなった事が
記述された現行の戸籍謄本の2種類が必要になるんです。

亡くなった時の記述は原戸籍謄本にある訳が無く、産まれた事しか書いてない
原戸籍謄本より、産まれた時と無くなった事の両方が記述してある現行の戸籍
謄本の方が効率的だとは、この人達は考えないんでしょうね。

よく世間の方達は「役人はとか、公務員はとか」言われますが、とんでもない、
こんな非効率的で馬鹿なルールを決めた金融機関の方が、よっぽとお上ですよ。
無駄な紙を無くす事もCO削減になるって事、知らないんでしょうか?

これも、この夏、匡平が教えてくれた世の中の矛盾点のひとつでした。

しかし、こんな写真を公開してしまいましたので、匡平は今度はどんな意地悪で
仕返しをしてくるんでしょうか?
楽しみです~♪

2009年09月03日

●こんな時に、エアコンが壊れるとは

匡平のドタバタ騒ぎが収まった頃、いつの間にかセミの声が聞こえないと
思ってましたが、夜は涼しくなってきたのに秋の虫の声が聞こえません。

今年の夏は、やはり変な夏ですね。

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撮影者 : 匡平 2009年1月11日 25歳の誕生日に撮影

我が家は、ちびっ子建てのお家です。
先日も書きましたが長男と奥さんは2階に部屋がありますが、匡平と自分は
1階のそれぞれの部屋で寝てました。
匡平の部屋は、彼が学生の時には友達の間で噂になったと言う2畳の部屋、
そして自分は、小さな我が家の中で一番広いリビングを部屋としており、
今は匡平の祭壇の横で、十数年ぶりに毎晩一緒に寝ております。

ところが昨夜、その部屋のエアコンが壊れました。
今年の夏は涼しく、寝るときはエアコンがなくても大丈夫ですが、明日の
金曜日は、よ七日にて、七日参りにお坊さんがいらっしゃいます。

この暑さの中でエアコンなしでのお経は大変かと。
明日中に業者の方が直してくれる事を、祈るばかりです。

2009年09月01日

●この夏、匡平がおしえてくれた事 その3

このところ匡平が撮していた写真を、勝手に彼のPCから抜き出してきて使って
おりますが、きっと匡平の事ですから「勝手に使わんといて」って怒ってる事と
思います。

でも自分は意地悪なので、自分や女房より先に天国に旅立ってしまうと言う様な
意地悪をした匡平に、意地悪返しでしばらくは勝手に載せようと思っております。

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撮影者 : 匡平 2009年3月29日 豊川稲荷にて

この7月に父の葬儀を体験し、曹洞宗の葬儀関連のだいたいの流れは知ってた
つもりでしたが、実家と名古屋での地域による違いと、初めて体験する喪主と
言う事で、色々と知らなかった事をたくさん勉強させられました。

そのひとつが、葬儀後の七日七日のお参りです。
今まで葬儀後の35日法要とか、49日法要を何も意味を考えず出席させていた
だいておりました。
もっとも、これは親族でも近親者で営むものですから、なかなか出席させて
いただく機会が少なかった事もありますし、ただ昔からの風習だろうな程度の
考えでおりました。

最近はそうされないお家も多いらしいですが、亡くなってから7日毎に自宅に
お坊さんが来ていただいて、お経をあげて貰います。
匡平の場合は土曜日に亡くなり、初七日は葬儀後に営んでもらってますから、
翌々週の金曜日が"ふた七日"、その翌週の金曜日が"み七日"と、その後金曜日
毎に、"よ七日"、"ご七日(35日)"、"む七日"と続き、なの七日が49日となります。
亡くなってから49日までを中陰と呼ぶそうで、それで49日の事を満中陰と
呼ぶのだそうです。

そんな事、ここに書かなくても知ってる方が多いのかも知れませんが、ここ
10年以上は初もうですら行かない無神無宗教者の自分ですから、聞くこと
なす事、全て勉強なんです。

曹洞宗では、人はひとつの命が終わって、次の命を得るまでの期間が長くても
49日らしく、七日参り毎にお坊さんが"開経偈"、"摩訶般若波羅蜜多心経" と、
最後に"普回向"を唱えていただきますが、途中にもうひとつ、"修証義" と言う
お経を一巻ずつ読んでいただきます。

そして次の七日参りまで家族が毎日、"開経偈"、"摩訶般若波羅蜜多心経"と 、
最後に"普回向"を、そしてその週の修証義の巻を読む事を"中陰勤行"と言い
その行為が、匡平の冥福を念じる事だそうです。

と言うことで、そんな初もうですら行かない自分が毎日、上記のお経を唱えて
おり、匡平が今より更に男前で生まれ変わっていく事を祈っております。

これも、この夏、匡平がおしえてくれた事でした。